人は何の為に生きるのか?(歌をお届けします。)
どうもよーえつです(^^)
精神的に不安定で、引きこもりだった十代の頃、私は毎日毎日考えていました。
「人は何のために生きているのだろう・・・」と。
きっと毎日の日々が楽しかったのなら、そのような疑問をもったり考えたりすることは無かったかもしれません。
しかし、あまりにも苦しくて苦しくて仕方がなかったから、
「自分の存在を消し去りたい」
と、そう思わずにはいられないほどまでに自分自身の事が大嫌いだったから、
毎日毎日、頭が痛くなるまで考え続けたのだと思います。
多くの人々を「生きることの意味」に目覚めさせたオーストリアの心理学者、ヴィクトル・フランクルは、「それでも人生にイエスと言う」という著書の中でこのように言われています。
「私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。
私達は問われている存在なのです。
それは、ものごとの考えかたを180度転換することです。
その転換を遂行してからはもう、「私は人生にまだ何かを期待できるか」と問うことはありません。
いまではもう、「人生は私に何を期待しているか」と問うだけです。
人生のどのような仕事が私を待っているかと問うだけなのです。
私たちは、人生が出した問いに答えることによって、その瞬間の意味を実現することができます。」
この言葉を簡単に言い表すのなら、フランクルは、
「人は人生に“問う”存在なのではなく、人生の方から“問われている”存在なのである」
という事を言われているのだと思うのですが、不登校・ひきこもりの状態だった当時の私は、もし、この言葉を投げかけられても、きっと解らなかった事でしょう。
自分の思い描く姿になる事が治る事だと思っていた当時の私は、解らなかったというより、解りたくなかったといった方が正しいかもしれません・・・。
ですから、とにかく自分の理想(思いどおりの姿になる事)が良くなる事だと、状況が良い方向へ向かっていくゆういつの方法だと固く信じていた当時の私には、きっとこの言葉を投げかけられても、その真意は解らなかった事と思います。
正直今でも、
「このフランクルの言葉の意味を全てを説明して下さい」
と言われたら、はっきりと口に出して上手に人にお伝えする自信は無いのですが(苦笑)、それでも自分なりに、この事の意味を理解し、捉える事が出来ていますし、
又それと同時に、どうしたら、その以前の私のようなどうしようもな苦しい状態から抜け出す事が出来るのか?という事も、その為の具体的な方法も、現在の私には解ります。
しかし昨晩自分でもかなりビックリしたのですが、その苦しみの中にいた不登校・引きこもりの状態であった17歳当時の私には、このフランクルが言われているような、
「“問う”のではなく常に“問われている”」
という、人生の本質的な事を、感覚的に解っていた部分もあった事が今日になって発覚致しました。
私が17歳の時にテープに吹き込んでいた自作の歌が、昨晩たまたま方付けをしていた時に出てきたのですが、その歌では、このように歌われていたからです。
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死に向かい生きている
悲しみ、苦しみ、失望、絶望・・・
人は何をする為に
どこに向かい生きるのだろう
ああ 教えてほしい
生きる事の意味を
ああ 俺の心は
どこにある・・・?
生きる事への 光は
希望 そして 愛され 愛する事
想いが 闇に 塗りつぶされそうでも
光は 闇に 絶対負けねえ
希望は スッゲー良いもの
良いものは 死なない
希望は スッゲー良いもの
光へ向かえ・・・
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この歌詞からは、人生に「問う事」から「問われている事」へと、心がシフトしていっている事が伺えます。
まだ当時は、フランクルの「フ」の字すら知らなかったのですが、きっと苦しみの中にいた中からでも、その「真理」をどこかで感じ取っていたのかもしれません。
だからこそ、本来であれば人様に聞かせる事の出来ないくらい荒削りで未熟な歌を、17歳当時の私の心の叫びを、是非皆さんに公開させて頂きたいと思いました。
なぜなら、それが不登校・引きこもりだった当時の私の本音でもあり、又、絶望の中に希望を見いだす事の出来た瞬間の気持であったからです。
(恥ずかしくて恥ずかしくて、初めはとても公開なんて出来ないと心の底 から思ったのですが・・・(苦笑))
もし良かったら17歳の、不登校・引きこもりだった頃の私の心の叫びを聴いてみて下さい。
(歌っているのも、17歳当時の私です)
http://frees1010.sakura.ne.jp/seventeen-song
(クリックして頂いて、開く選択して聞いて頂く事ができますし、文字上 で右クリックで対象をファイルに保存を選択して頂くと、ダウンロードし て頂く事が出来ます。)
もしもし少しでも今、聞いて下さったあなたに伝わるものがございましたら幸いです(^^)
コメント
歌、聴かせていただきました。ココロに響く詩ですね。この詩をつくられたのは学校を辞められた後ですか?前向きな様子が伺えて、でもまだ実は不安な感じがしました。この後どんどん希望が膨らんでいかれたのでしょうね?
投稿者: penchanmura | 2008年10月21日 10:25うちの17歳の息子ちゃんが昨日家を出て一人暮らしを始めました。
早く死にたいのに怖くて死ぬ勇気はない。と言い残して。
高校の担任は不安なようです。でも、この選択も人生の方から与えられたものなのかも知れないと、思うようにしてます。担任には、あの子のありのままの姿を愛せたから、好きなようにさせる決心がつきました。と伝えました。でも心配で電話かけまくって息子に叱られましたが・・・汗
今野さんのお話を先日しましたら、二人のお子さんが通い始めたようです。みんな今野さんに会いたがっています。こちらは来年早々企画したいのですが、ご都合はどうでしょう・・・?
不登校の娘が全く同じ事を言います。「なんの為に生きているんだろう」と、「自分を消し去りたい」です。
最近は口に出す事が少なくなって来ましたが^^; 今でも漠然と思っている事のようです。
吹っ切れる時がいつかは、来るんだと思うんですけどね。
投稿者: MIYA | 2008年10月21日 16:56penchanmura様
コメントありがとうございます(^^)
先日田中先生から御連絡頂いたのですが、わざわざ私の事をメールにて御連絡して下さって下さりありがとうございました。
御連絡頂いた事のご返信はこちらからメールにて御連絡させて頂きますね♪
MIYA様
コメントを下さりありがとうございます。
>>不登校の娘が全く同じ事を言います。
>>「なんの為に生きているんだろう」と、「自分を消し去りたい」です。
>>吹っ切れる時がいつかは、来るんだと思うんですけどね。
正にMIYAさんがおっしゃられていらっしゃるとおり、私も必ず吹っ切られる時が来る事と思います。なぜなら、私自身がそうでしたので(笑)
投稿者: よーえつ | 2008年10月23日 02:01MIYAさん御一家の最善と祝福をお祈りさせて頂きます(^^)
こんにちは、お久しぶりです!
私は長引く体調不良のため悲観的な毎日を過ごしておりました。
そんな時、陽悦さんの歌の詩「想いが闇に塗りつぶされそうでも 光は闇に絶対まけねえ」から大きな希望と勇気を頂き、もう一度元気になりたい!と強く思いました。ありがとうございます。前回のブログ「24年間を振り返って・・・。」も読ませていただき、陽悦さんの生き方って、「カッコイイ」と思いました。
実は悲しいことばかりではなく、嬉しいことに、つい最近次男が「もう、この生活に飽きた。この部屋とおさらばして、寮生活をし、勉強したい!」といきなり言いだし、今、全寮制の私立中学を検討中です。
このことは、陽悦さんのおかげと、心から思います。ありがとうございます。
陽悦さんを待っていらっしゃる方々は日本中、たくさんいるはずです。凄いことです!
投稿者: niraduka | 2008年10月25日 14:00陽悦さんを超えられる人は、誰もいない!と私はいつも思っています。
今日やっとよーえつさんの17歳のときの歌を聴きました。すごいステキな声ですね。それに、詩の移り変わりがいいなぁ。どんなことがあってもいつかたどり着ける・・・そんな感じです。最近くじけそうだったので、ホント希望をもらっちゃったよ。ありがとうございます。また来ますね。
投稿者: maple | 2008年11月18日 23:44歌聴きました!
投稿者: 孝介 | 2008年12月16日 21:40とても、感動しました。
涙が止まりません。